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大阪高等裁判所 昭和44年(う)1241号 判決 1973年3月02日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

<前略>

論旨第二点は事実誤認を主張し、その要旨は、原判決は、被告人は時速約三〇粁で先行車の後方約五米の車間距離を保つたのみで追従し、右先行車が急制動するのを認めて自車も急制動したが、それが急激であつたため、その反動により被害者両名の上体を前屈させたうえ、同人らに対して原判示のごとき傷害を与えたものと認定しているが、被告人車の速度は時速約二五粁ぐらいと見るのが妥当であり、かりに時速約三〇粁であつたとしても、被告人車の停止距離は約9.33米であつて、一般に乗客に動揺を与えるのもかまわず急激な制動措置をとるならば、時速三〇粁でも約五米で停止することができるのであるから、被告人の措置は急制動とは言えず、適切なものであつて、被害者両名の負傷を被告人に帰責するのは不当である、というのである。

よつて考察するのに、司法警察員作成の実況見分調書および被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、本件事故当時、被告人は約五米の車間距離をおいて走行する先行車が急制動するのを認めて、自車も制動措置を採つたが、その際全制動距離9.33米で停止した事実が認められる。ところが、当審鑑定人鈴木勇作成の鑑定書(以下鈴木鑑定という)および当審証人鈴木勇の証言によれば、空走時間を0.5秒とすれば、時速三〇粁、9.33米の全制動距離で停止した時の減速度は七m/S2程度(mはメートルSは秒を表わす。すなわち毎秒七米づつ減速することを意味する)であり、これは通常の急制動のばあいと同様の衝撃を与えるものとされている。しかしながら全制動距離が同一とすれば、空走時間のとり方によつて実制動のときの減速度は左右されるものであり、右鈴木鑑定が前提とした空走時間0.5秒というのが本件に即して妥当な数値であるかいなかが問題となる。

当審証人柴田想一の証言によれば、空走時間は、一般平均値としては0.7秒ないし0.8秒とされているが、これには頗る個人差があり、特に空走時間中の反射時間に顕著な差異が示されることが多く、空走時間を一般的に0.5秒とする文献も必ずしも少くない旨述べており、また当審鑑定人佐々木軍治作成の鑑定書(以下佐々木鑑定という)によれば、空走時間の0.8秒は運転初心者の平均値であり、本件被告人のような熟練したタクシー運転手のばあいには、0.4秒と見るのが正しいものとされ、また鈴木鑑定によれば、空走時間は一般には0.8秒程度とされてはいるが、これには個人差があり、本件の場合被告人車の時速を三〇粁全制動距離9.33米、それに雨中アスフアルト道路の摩擦係数0.6を所与の事実として計算すれば、被告人車の空走時間は0.44秒となり、摩擦係数を乾燥アスフアルト道路と同等の0.7とすれば、空走時間は0.52秒となることが認められる。以上の各鑑定の結果に被告人は昭和三五年頃以降引続いてタクシー運転手をしていることを併せ考えれば、本件事故時における被告人車の空走時間は、0.5秒ぐらいであつたとみるのが相当であり、前記科学警察研究所の調査結果が急制動の場合の停止距離10.8米の前提とした空走時間0.8秒は本件事故時の被告人車の空走時間については妥当しないものといわなければならない。(本件被告人のばあい、空走時間を鈴木鑑定における一般の平均値をとつて0.8秒とし、前記所与の事実を素材として計算すれば、被告人車の減速度は12.8m/S2となつて、通常の急制動では考えられない大きな数値となり、本件事故時の具体的諸状況に照合して不合理な結果を示す。鈴木鑑定参照)。

なお所論は、右空走時間を0.8秒とした原判決の事実誤認を主張するが、この事実誤認は、原判決が構成要件的過失を設定する際の一行為事情(被告人車の時速約三〇粁)を認定するための間接事実の誤認であり、原判決において右行為事情が正しく認定されている限りは、この事実誤認は判決に影響をおよぼすことが明らかなものとは思料されない。

また所論は被告人車の時速は約二五粁であつたと主張する。なるほど本件記録によれば、被告人は、原審公判審理を通じて、時速二五粁を主張している事実はうかがえるのであるが、被告人の司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書によれば、被告人は当時の被告人車の時速は約三〇粁であつた旨述べており、この供述は、被告人の記憶の新鮮な間の供述であり、また客観的事実とも符合するので、優に信用するに足るものと思料され、本件事故時の被告人車の時速は約三〇粁であつたものと認めるのを相当とする。

以上説示したところを綜合すれば、前記鈴木鑑定が前提とした各事実は、その認定において妥当なものであり、したがつてその結論も信用するに足るものであつて、被告人は本件現場道路において急制動により停止したものと認定せざるを得ない。この点において、原判決には、判決に影響をおよぼすことが明らかな事実の誤認はない。

論旨第三点は法令解釈適用の誤りを主張し、その要旨は、現時の大都市交通の実状において、タクシー運転手といえども衝突、追突その他の交通事故を避けるためには、しばしば急制動措置を採らねばならない事態に直面することがあるのは当然で、乗客もこの事態に対応するために、座席に深く腰を下すなどして、安全な乗車姿勢を採るべき義務があり、本件において被告人が急制動に際し、被害者らの正常安全な乗車姿勢を期待したことに非難されるところはなく、被告人が、本件事故時に採つた程度の急制動に被告人の過失を認めた原判決には刑法二一一条前段の解釈、適用を誤つた違法がある、というのである。

よつて考察するのに、まず本件被害者らの負傷は、被害者らの不安定な乗車姿勢に起因するものか、あるいは被害者らが正常な乗車姿勢をとつたとしても、被告人の急制動によつて本件事故は避け得なかつたものかどうかを確定する必要がある。

原審第四回公判調書中、証人青木トク、同久本ミネの供述記載に徴すれば、右両名は事故当時普通に腰をかけた通常の乗車姿勢であつたと述べているが、原審第一〇回および第一二回各公判調書中の被告人の供述記載ならびに当審第一一回公判期日における被告人の供述によれば、事故後久本は被告人に対し、自己の乗車姿勢が不安定なものであつたことを告げた事実がうかがわれ、また当日は祗園祭の宵宮であり、名物の鉾も出ており、久本は乗車後約一〇秒ぐらい経過した後中腰になり、被告人車の前方の鉾をのぞき見するため、顔を被告人の後部の防犯ガラスに近づけ、鉾のことについて被告人に話しかけた事実もあり(しかし、久本が被告人に話しかけ、約三〇米弱走行した後に本件事故が発生しているのであるが、事故直前の久本の乗車姿勢については、被告人は判らない、と述べている。当審公判廷における被告人の供述参照)、被害者らは事故前、中腰の不安定な乗車姿勢をとつていた疑いは濃い。

さらに、前記佐々木鑑定によれば、被告人は時速約三〇粁で、約9.33米の全制動距離で停止した事実から、乗客の後部座席に深く腰をかけていた場合には、乗客の受ける動揺は全くないか、あつても、ごく僅かであると考えられ、(この結論は実験により確認されている)、また深く腰をかけていた場合の、前記久本の頭部の運動コースは、久本の身体各部および後部座席と被告人車の運転席背もたれならびに防犯ガラスとの各距離(原審検証調書参照)との関係から、その頭部がいかに大きく動揺しても、頭部を運転席背もたれに打ちつけることはあつても、久本の上唇部を防犯ガラスに打ちつけることはあり得ないことが推認され、久本が原判示のごとき傷害をうけたとすれば、それは中腰になるか、あるいは浅く腰をかけて、上体を前屈して、防犯ガラスに顔面を近づけ、その防犯ガラス越しに前方をのぞき見していたものと認めざるを得ない。さらに佐々木鑑定によれば、前記条件の下での被告人車の停止の際、乗客の頭部は、慣性によつて前方に向い一秒間に約1.7米(時速約六粁)で運動するが、この程度の速度では鞭打症の発生も考えられない旨うかがえるのである。そうであるとすれば、青木トクの傷害も同人の不安定な乗車姿勢に起因するものと推認するのを相当とする。

また鈴木鑑定によつても、被告人が加速中に急制動したのでないかぎりは(当審公判廷における被告人の供述によれば、被告人が制動したのは加速中ではなく、定速走行中であつた事実が認められる)、後部座席の乗客は深く腰をおろした安定した姿勢では、頭の前方移動は、たかだか0.15米であり、到底被害者らが原判示のごとき傷害を受けることは考えられない。

以上説示したところから明らかなように、被告人の制動は、いわゆる急制動に相当するのが、被害者らが腰を深くおろし、安定した姿勢で乗車していた場合には、本件事故は発生しなかつたとみるべきであり、本件事故は、被告人の急制動に、被害者らの不安定な乗車姿勢が競合して惹起されたものといわざるを得ない。

ところで本件事故当時、現場附近の自動車の交通量は「多い」とされている(司法警察員福谷喜一作成の実状見分調書参照)。そして前記佐々木鑑定によれば、本件事故現場附近の交通量の多い場合には、自動車の交通流は、交通渋滞を生ずるに至つてはいないにしても、少くとも六〇台ないし八〇台の自動車が、二列の西行き交通流をなし、連続走行することが考えられ、かかる場合、交通流中の自動車は、通常自ら速度を選ぶことは不可能で、自動車の流れにそつて走行せざるを得ない状況にあることが認められる。また車間距離も前車の急停止に応じて追突しないだけの最小必要限度に限られることは、現今の大都市における自動車運転の実情であろう。したがつて、被告人が本件事故当時前車との車間距離を約五米しかとらなかつたとしても、その車間距離は、被告人にとつて、急制動により追突を避け得るに足る距離であつたのであるから、あながちこれを責めることはできない。かかる状況は、周知のごとく、現時の大都市における市街走行の際、応々にして頻発するところであり、したがつてタクシー運転手といえども、事故を回避するためには、しばしば急制動の必要に迫られることがあるのである。かかる場合急制動に起因する乗客の身体の危険を、一〇〇パーセント運転手に負担させるにおいては、タクシー運転手は大都市市街地の走行を断念せざるを得ず、その必要欠くべからざる公衆の足としての効用は無いに等しいこととなる。したがつてタクシーの社会的機能を重視し、これを十分に発揮させるとすれば、急制動の衝撃から生ずる乗客の身体の危険は、運転者と乗客の双方へ適正に分配せざるを得ず、少くとも乗客は、自己の身体を保護するため、通常の安定した乗車姿勢をとるべき義務があり、また乗客が相当の高齢者であるとか、重症の身体障害者であるとかその他乗客の不安定な乗車姿勢が予測される特別な事情のないかぎり、また運転者において乗客が現に不安定な乗車姿勢をとつていることを明らかに認識していないかぎり、運転者としては乗客が安定した乗車姿勢をとるであろうことを期待することが許されなければならない(いわゆる信頼の原則の適用)。原判決は、本件被告人が急制動をとらざるを得なかつた状況にあることを認めながらも、それは自ら招いた状況であるとして、被害者らの負傷を被告人に帰責したのであるが、大都市交通の実情は、被告人をしてかかる状況を自招せざるを得ぬ立場に追い込んでいるのであつて、本件において前認定のとおり被害者らが通常期待される乗車姿勢をとつておれば負傷しなかつたであろうと認められる以上は、被告人に、本件事故の刑責を問うことは許されないものと思料される。したがつて論旨は理由があり、本件につき、被告人に過失を認め、有罪とした原判決は破棄を免れない。<後略>

(戸田勝 中武靖夫 家村繁治)

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